--
--
Ads by Google
03
29
親父倒れる
2009-03-29
病院のレストランからは明治神宮に国立競技場が見えた。都内にもこんな絶景の場所があるんだ。
見晴らしがいいだけでなくて、都内で目の前にこんなに緑が広がっている景色を見るのは初めてかもしれない。
先週の水曜日、仕事をしていると20時過ぎに兄貴からの着信があった。
いつもは用事があればまずメールで連絡が来るのに、何かおかしいと思って電話を持って部屋を出た。伝言メモのアナウンスが流れだしたところで通話ボタンを押した。
家族からの突然の連絡というのは、いい知らせが少ない。
母親の退院祝いと、還暦祝いを3月中にやろうかと話していたのでその件かと思っていた。
落ち着いた声で、兄貴は
「今日お父さんが脳出血で倒れた。」
と言った。
要点だけまとめて数分で事の経緯を説明してもらう。
とりあえず命に関わる問題では無さそうなことと、無事手術が済んだことを聞いて安心し、翌日病院へ行くことにした。
お見舞いに行くと、窓際のベッドで寝ている親父を母親が椅子に座って見ていた。
3ヶ月前、母親が入院していたときと全く逆の立場になっている。
エレベーターから降りて病室まで行く道のりも、部屋の中のベッドの場所も母親のときと同じで不思議な感じがした。
「大丈夫?」
と声をかけると、ニコニコしながら「おぉ大丈夫だ。」なんて言っていた。
1ヶ月ほど前に仕事で頭をぶつけて、それから脳内で出血が進んでいたのが原因のようだ。
頭をぶつけた当日に飲んで帰って来て、家に着くと訳の分からないことをしゃべっていたのを不思議に思って、母親が病院に行かせたのだけどその時は特に何も分からなかったらしい。
それが水曜日、街中で歩いていると止まろうと思っても体が止まらなくて、ぜんまい仕掛けのおもちゃのようにひたすら前に体が勝手に進んでいったそうだ。
人にぶつかって、倒れて、これはおかしいと病院に搬送された。
でも親父の意識ははっきりしていた。
手術の署名を行うために兄貴が病院に向かうと、簡単な説明をされ数分後には手術が始まったという。頭のレントゲンに大きく真っ白に血が写っていたのだけ確認して。
脳に関わるから一刻を争うらしく、兄貴も何がなんだかよく分からなかったらしい。
と、手術が始まるまでに一揉めあって・・
というのも、うちは一度オレオレ詐欺に引っかかっていて、その時は親父が通勤中に事故を起こしたという内容だった。
今回は本当なのに、はじめは母親は怪しがったらしい。
でも電話には親父本人が出ているし、看護婦も熱心に説明してくるし、母親は親父と看護婦がグルで何かしようとしているのでは? とちょっとだけ思ったようだ。
怪しんで手術をするという病院に、親父が本当にいるのかどうか総合窓口へ確認すると
「そんな人知りません。」
と言われて、余計に怪しんだそうだ。
でもまぁ、緊急外来で来た患者まで病院側も把握しきれていないだろう。
親父は一刻を争う脳の手術の割りに、意識はしっかりしていてそれが母親を混乱させたようだ。
脳からは500mlのペットボトル1本ぐらいの血液を、一晩かけて吸引した。
脳ミソは3分の2くらいの大きさくらいまで血で圧迫されていたとのこと。
手術中は全身麻酔でなくて、意識はずっとあったのだという。
頭蓋骨にゴリゴリと10円玉くらいの穴を2つ空けて、何か色々機具を入れて手術したらしい。
その間も医者が話している言葉とかが聞こえてきていて、「今の医療ってすごいもんだな。」とか、「結構適当なもんなんだな。」と、ニコニコしながら楽しそうに話していた。
手術の後も、1時間ごとに看護婦さんが「目を見てちょうだい。」と意識を確かめるために検査するのだけど、それがなんだか照れるみたいなことを言って、呑気というか鈍感というか、まぁ無事でよかったと思った。
倒れる前より若干顔色がよくなった気がするし、頭が冴えている気がする。
ちょこまかと動いて、缶コーヒーが飲みたいだとか、ごみ箱はどこだとか、壁にある色々なスイッチを見てこれ押したらどうなるのかとか、何事もなかったかのように、というか以前より元気になっているのかもしれない。
ずっと前から頭に血が溜まってたんじゃないか? と僕らはからかった。
病室を出て、帰る前に最上階のレストランでお茶をした。
倒れた日、なぜか知らないけどいつもは持っていかない携帯電話と保険証を親父は仕事に持って行っていたそうだ。まるで倒れるのを知っていたかのように。
そして倒れた後も、自分で病院を手配して、兄貴に連絡して、僕に連絡がきて、母親はその時が来たときの予行練習だね、なんて言っていた。
親父はお酒もしばらくはお預けらしい。
これからはますます一緒に飲む機会は減るかもしれない。
帰り際、兄貴に母親の退院祝いに親父も加わっちゃったね、と言うと
「親父の退職祝いもだよ。」と言われた。
そうか、ついに仕事も出来なくなるのか。
親父はもうすぐ70歳になる。
もう仕事は出来ないだろうし、これから何をしていくのだろうかと思ってしまった。
母親に聞くと、最近は昔の写真をまとめたり、色々モノを整理したりそんなことばっかしていると言っていた。
よくよく思うと70歳ってもういい年だ。
正月に親父と飲んだときには、同窓会で集まるともう半分以上はいなくなっていて・・ と言っていたし。これから親父がしていくことは、もう2度と経験できないことばかりなのかもしれない。
親というおそらく最も近い存在の人の人生を僕はよく知らない。
ただ僕の適当さやマイペースさは、完璧に親父譲りのものだと思う。
親父には全く厳しく育てられた思い出がない。
高校受験、大学受験、就職、と特に何のアドバイスもなかった。
高校には行かず、大工になる! と言い出した中学3年の時の僕に対しても、何も言わず北関東にある高専の見学に一緒に連れて行ってくれた。
結局そこはヤンキーだらけで、自分で行くのを辞めようと決めた。
そんな時、親父がどう考えていたのか、考えていなかったのか、僕は知らない。
よくよく考えると、怒られたことも、褒められたこともないような・・
無関心というわけではなさそうなのだけど。
最後まで親父の考えていることはよく分からないのだろうか。
僕も親父のような親父になるのかもしれない。
まぁそれも悪くないかな、と思った。
いつもは用事があればまずメールで連絡が来るのに、何かおかしいと思って電話を持って部屋を出た。伝言メモのアナウンスが流れだしたところで通話ボタンを押した。
家族からの突然の連絡というのは、いい知らせが少ない。
母親の退院祝いと、還暦祝いを3月中にやろうかと話していたのでその件かと思っていた。
落ち着いた声で、兄貴は
「今日お父さんが脳出血で倒れた。」
と言った。
要点だけまとめて数分で事の経緯を説明してもらう。
とりあえず命に関わる問題では無さそうなことと、無事手術が済んだことを聞いて安心し、翌日病院へ行くことにした。
お見舞いに行くと、窓際のベッドで寝ている親父を母親が椅子に座って見ていた。
3ヶ月前、母親が入院していたときと全く逆の立場になっている。
エレベーターから降りて病室まで行く道のりも、部屋の中のベッドの場所も母親のときと同じで不思議な感じがした。
「大丈夫?」
と声をかけると、ニコニコしながら「おぉ大丈夫だ。」なんて言っていた。
1ヶ月ほど前に仕事で頭をぶつけて、それから脳内で出血が進んでいたのが原因のようだ。
頭をぶつけた当日に飲んで帰って来て、家に着くと訳の分からないことをしゃべっていたのを不思議に思って、母親が病院に行かせたのだけどその時は特に何も分からなかったらしい。
それが水曜日、街中で歩いていると止まろうと思っても体が止まらなくて、ぜんまい仕掛けのおもちゃのようにひたすら前に体が勝手に進んでいったそうだ。
人にぶつかって、倒れて、これはおかしいと病院に搬送された。
でも親父の意識ははっきりしていた。
手術の署名を行うために兄貴が病院に向かうと、簡単な説明をされ数分後には手術が始まったという。頭のレントゲンに大きく真っ白に血が写っていたのだけ確認して。
脳に関わるから一刻を争うらしく、兄貴も何がなんだかよく分からなかったらしい。
と、手術が始まるまでに一揉めあって・・
というのも、うちは一度オレオレ詐欺に引っかかっていて、その時は親父が通勤中に事故を起こしたという内容だった。
今回は本当なのに、はじめは母親は怪しがったらしい。
でも電話には親父本人が出ているし、看護婦も熱心に説明してくるし、母親は親父と看護婦がグルで何かしようとしているのでは? とちょっとだけ思ったようだ。
怪しんで手術をするという病院に、親父が本当にいるのかどうか総合窓口へ確認すると
「そんな人知りません。」
と言われて、余計に怪しんだそうだ。
でもまぁ、緊急外来で来た患者まで病院側も把握しきれていないだろう。
親父は一刻を争う脳の手術の割りに、意識はしっかりしていてそれが母親を混乱させたようだ。
脳からは500mlのペットボトル1本ぐらいの血液を、一晩かけて吸引した。
脳ミソは3分の2くらいの大きさくらいまで血で圧迫されていたとのこと。
手術中は全身麻酔でなくて、意識はずっとあったのだという。
頭蓋骨にゴリゴリと10円玉くらいの穴を2つ空けて、何か色々機具を入れて手術したらしい。
その間も医者が話している言葉とかが聞こえてきていて、「今の医療ってすごいもんだな。」とか、「結構適当なもんなんだな。」と、ニコニコしながら楽しそうに話していた。
手術の後も、1時間ごとに看護婦さんが「目を見てちょうだい。」と意識を確かめるために検査するのだけど、それがなんだか照れるみたいなことを言って、呑気というか鈍感というか、まぁ無事でよかったと思った。
倒れる前より若干顔色がよくなった気がするし、頭が冴えている気がする。
ちょこまかと動いて、缶コーヒーが飲みたいだとか、ごみ箱はどこだとか、壁にある色々なスイッチを見てこれ押したらどうなるのかとか、何事もなかったかのように、というか以前より元気になっているのかもしれない。
ずっと前から頭に血が溜まってたんじゃないか? と僕らはからかった。
病室を出て、帰る前に最上階のレストランでお茶をした。
倒れた日、なぜか知らないけどいつもは持っていかない携帯電話と保険証を親父は仕事に持って行っていたそうだ。まるで倒れるのを知っていたかのように。
そして倒れた後も、自分で病院を手配して、兄貴に連絡して、僕に連絡がきて、母親はその時が来たときの予行練習だね、なんて言っていた。
親父はお酒もしばらくはお預けらしい。
これからはますます一緒に飲む機会は減るかもしれない。
帰り際、兄貴に母親の退院祝いに親父も加わっちゃったね、と言うと
「親父の退職祝いもだよ。」と言われた。
そうか、ついに仕事も出来なくなるのか。
親父はもうすぐ70歳になる。
もう仕事は出来ないだろうし、これから何をしていくのだろうかと思ってしまった。
母親に聞くと、最近は昔の写真をまとめたり、色々モノを整理したりそんなことばっかしていると言っていた。
よくよく思うと70歳ってもういい年だ。
正月に親父と飲んだときには、同窓会で集まるともう半分以上はいなくなっていて・・ と言っていたし。これから親父がしていくことは、もう2度と経験できないことばかりなのかもしれない。
親というおそらく最も近い存在の人の人生を僕はよく知らない。
ただ僕の適当さやマイペースさは、完璧に親父譲りのものだと思う。
親父には全く厳しく育てられた思い出がない。
高校受験、大学受験、就職、と特に何のアドバイスもなかった。
高校には行かず、大工になる! と言い出した中学3年の時の僕に対しても、何も言わず北関東にある高専の見学に一緒に連れて行ってくれた。
結局そこはヤンキーだらけで、自分で行くのを辞めようと決めた。
そんな時、親父がどう考えていたのか、考えていなかったのか、僕は知らない。
よくよく考えると、怒られたことも、褒められたこともないような・・
無関心というわけではなさそうなのだけど。
最後まで親父の考えていることはよく分からないのだろうか。
僕も親父のような親父になるのかもしれない。
まぁそれも悪くないかな、と思った。



