02
20
東京着。旅の終わり。
2009-02-20
去年の夏ごろ、ブログでなんか書いてみようと始めてみてチョコチョコと書くようになって、何を書こうか迷っていたところすぐに書けそうなのが昔の旅行記だった。それ以外に、困らずに書けるネタがなかったのだ。
書いてみて、改めて思ったこととして、
旅はいいもんだ。
旅に出て、視野も広がったし、自信もついてこれからエネルギッシュにやっていけそうだ。
色々なところに行って、本当によかった。
なんて、言い切ることができたらこの先のことを書くこともなかっただろう。
旅へ行った後すぐに旅行記を書いていたら内容はまた違っていただろうし、「旅最高!」って感じで終わっていたと思う。
その時、行った場所で考えたことは旅の一部で、実はその後の影響のほうが大きい。
旅に出てみて得たものを一つだけ選べといわれれば、それは、
「人はどこでも生きていける。」
という意識だ。
灼熱の太陽が照り続けて砂漠化が進んでいるところでも、
氷点下の世界しか存在しない場所でも、
生きている間ずっと内戦が続くようなところでも、
もちろん、毎日終電帰りが続くような状況でも、
人は生きていける。
苦労は絶えないけど、生死をリアルに考える場所でもある。
そして僕も、自分はどこでも生きていけるという気になっていた。
でもこの考え方は危険だ。
というのも、旅に出てからはどこにいてもここは仮の場所ではないか、という疑問がつきまとってしまったからだ。
何をしてもどこか満足感が得られないようになってしまった。
日本に帰ってくれば、家もあるし、学校もあるし、会社もあるのに、自分がどこにいるのかふと分からなくなる瞬間があって、旅先に一泊だけ泊まった宿の方が妙に実在感を感じたりする。
生きていける、という自信の代わりに、居場所がよく分からなくなってしまったのだ。
今でこそ、自分のいる場所で、与えられた世界の中での楽しみを求めた方が幸せなのだと思うようになった。
当たり前のことだよ、と言われそうだけど。
「今ある仕事をして、広い世界を求めるな。」
なんてことを今言われたら、反論しきることが出来ない。
身の回りのことが、一番大事なのだ。
旅行記の始めの方で、一人旅には是非行って欲しい、なんて書いたけど行く人は気をつけて。
長い旅から帰って来た後の日本での生活は、行く前に比べてしんどいものになると思う。
きっと悩みは増えるし、日本に帰って来てから自分を馴染ませるのに苦労すると思う。
僕が知るに、旅先で会った長期旅行者の中で日本でマトモに働き続けている人は、そうでない人より少ない。
みんな悩みつつ、生活しているんじゃなかろうか。
僕は社会人になってから仕事を辞めて数ヶ月、なんていう旅をしていないので考えの及ばないところも多いけど。
だからって行かなきゃよかったな、なんて思うことはない。
また思い出すときには、あぁ行ってよかったな、って思うだろうし、生まれ変わっても同じことをしていると思う。
書いていて、記憶はどうしようもないけど薄れていくのも感じた。
たまに思い出すように、飲んだときに昔の旅の話をかいつまんで話してみても、どこか老人の昔話のような気がしてきてしまう。
そんなふうにして、いちいち思い出さないと忘れてしまうくらいなら、いっその事まとめて書いてみようと途中から思っていた。
記憶は不鮮明になりながらも、時間が経っているからこそはっきり分かることもあった。
それだけ思い出すことに、余裕が出来てきたというのもある。
何となく書き出した旅行記だけど、書いてみてモヤモヤが晴れた気がする。
本音を言うと旅に出たくない気持ちもあった。
大学の頃は長い休みに入る前に、次はどこへ行こう、と思いつつも実は心の中では行きたくないな、と考えることも多かった。
そんな気持ちを少しでも持ったのは、今回旅行記を書いた中国〜インドの旅からだ。
快適な自分の部屋であったかいベッドで寝たいし、それにもっと他にやるべき事ってあるんじゃないか? そんな気持ちがつきまとっていた。
今ちょうど、数ヶ月間の海外一人旅に出かけていった大学の友達がいる。
出発前に話していると、
「なんかめんどくさくなっちゃったなぁ。」
なんて言っていた。
僕も出発前に、どうしても旅に出られなくなるような事態にならないものかと、ひそかに思ったこともある。
そんなことは結局起きなかった。だから旅に出た。
ただ単純に旅は好きだ。
寂しがり屋で、臆病者のくせに、遠くへ、危なそうなところへ行ってみたい。
そんな気持ちは、初めて自転車に乗った頃から、昔も今も変わっていない。
今はもう、ここに書いたような旅をすることはない。(あぁ書いちゃった。)
行きたいとも思っていない。
自分がどこかに行って大きく考え方が変わることはないだろうし、それを求めているわけでもない。
それ無しに、行ってもしょうがない。
あの頃、景色とか、人を見ていて、本当に何を見ていたかというと結局自分のことだった。
一人で行く旅の道連れは、自分自身だ。
何気ない風景を、鮮明に、ありありと思い出す事が出来る場所がある。
長く住んだ思い入れのある場所ではないのに、忘れられないイメージとなって残っている。
もちろん初めて訪れる国というのもあるけど、自分はこれから何をしていくんだろうという気持ちで溢れている時期だったからこそ、印象的な記憶になっている。
今もそんな不安感はあるけど、適度な諦めも出来てきたし、何が出来て出来ないのかも分かってきた。
旅に替わるものを見つけよう。
ぼんやりと思っていたことだけど、こうして言葉にしていくと言い切れる。
この半年間は、もう一度自分の頭の中を旅しているような感じだった。
言葉ではうまく書き切れないことばかりで、記憶の1%でも書けたなら、伝えたいことの1%でも伝えられたならいいと思う。
こんなこと書きたかったわけじゃないのにな、っていうような訳の分からない内容もあった。
段々と長くなっていっちゃった文章に付き合ってくれてた人がいたなら、読んでくれてありがとう。
面白いことは求めて動かないと見つからない。
今は、僕のやれる場所で、やれることを、やり続けていけたらいいな、と思っています。
あわてず、あせらず、あらそわず、あてにしないで、あきらめず。
ひろし旅 おわり。
旅はいいもんだ。
旅に出て、視野も広がったし、自信もついてこれからエネルギッシュにやっていけそうだ。
色々なところに行って、本当によかった。
なんて、言い切ることができたらこの先のことを書くこともなかっただろう。
旅へ行った後すぐに旅行記を書いていたら内容はまた違っていただろうし、「旅最高!」って感じで終わっていたと思う。
その時、行った場所で考えたことは旅の一部で、実はその後の影響のほうが大きい。
旅に出てみて得たものを一つだけ選べといわれれば、それは、
「人はどこでも生きていける。」
という意識だ。
灼熱の太陽が照り続けて砂漠化が進んでいるところでも、
氷点下の世界しか存在しない場所でも、
生きている間ずっと内戦が続くようなところでも、
もちろん、毎日終電帰りが続くような状況でも、
人は生きていける。
苦労は絶えないけど、生死をリアルに考える場所でもある。
そして僕も、自分はどこでも生きていけるという気になっていた。
でもこの考え方は危険だ。
というのも、旅に出てからはどこにいてもここは仮の場所ではないか、という疑問がつきまとってしまったからだ。
何をしてもどこか満足感が得られないようになってしまった。
日本に帰ってくれば、家もあるし、学校もあるし、会社もあるのに、自分がどこにいるのかふと分からなくなる瞬間があって、旅先に一泊だけ泊まった宿の方が妙に実在感を感じたりする。
生きていける、という自信の代わりに、居場所がよく分からなくなってしまったのだ。
今でこそ、自分のいる場所で、与えられた世界の中での楽しみを求めた方が幸せなのだと思うようになった。
当たり前のことだよ、と言われそうだけど。
「今ある仕事をして、広い世界を求めるな。」
なんてことを今言われたら、反論しきることが出来ない。
身の回りのことが、一番大事なのだ。
旅行記の始めの方で、一人旅には是非行って欲しい、なんて書いたけど行く人は気をつけて。
長い旅から帰って来た後の日本での生活は、行く前に比べてしんどいものになると思う。
きっと悩みは増えるし、日本に帰って来てから自分を馴染ませるのに苦労すると思う。
僕が知るに、旅先で会った長期旅行者の中で日本でマトモに働き続けている人は、そうでない人より少ない。
みんな悩みつつ、生活しているんじゃなかろうか。
僕は社会人になってから仕事を辞めて数ヶ月、なんていう旅をしていないので考えの及ばないところも多いけど。
だからって行かなきゃよかったな、なんて思うことはない。
また思い出すときには、あぁ行ってよかったな、って思うだろうし、生まれ変わっても同じことをしていると思う。
書いていて、記憶はどうしようもないけど薄れていくのも感じた。
たまに思い出すように、飲んだときに昔の旅の話をかいつまんで話してみても、どこか老人の昔話のような気がしてきてしまう。
そんなふうにして、いちいち思い出さないと忘れてしまうくらいなら、いっその事まとめて書いてみようと途中から思っていた。
記憶は不鮮明になりながらも、時間が経っているからこそはっきり分かることもあった。
それだけ思い出すことに、余裕が出来てきたというのもある。
何となく書き出した旅行記だけど、書いてみてモヤモヤが晴れた気がする。
本音を言うと旅に出たくない気持ちもあった。
大学の頃は長い休みに入る前に、次はどこへ行こう、と思いつつも実は心の中では行きたくないな、と考えることも多かった。
そんな気持ちを少しでも持ったのは、今回旅行記を書いた中国〜インドの旅からだ。
快適な自分の部屋であったかいベッドで寝たいし、それにもっと他にやるべき事ってあるんじゃないか? そんな気持ちがつきまとっていた。
今ちょうど、数ヶ月間の海外一人旅に出かけていった大学の友達がいる。
出発前に話していると、
「なんかめんどくさくなっちゃったなぁ。」
なんて言っていた。
僕も出発前に、どうしても旅に出られなくなるような事態にならないものかと、ひそかに思ったこともある。
そんなことは結局起きなかった。だから旅に出た。
ただ単純に旅は好きだ。
寂しがり屋で、臆病者のくせに、遠くへ、危なそうなところへ行ってみたい。
そんな気持ちは、初めて自転車に乗った頃から、昔も今も変わっていない。
今はもう、ここに書いたような旅をすることはない。(あぁ書いちゃった。)
行きたいとも思っていない。
自分がどこかに行って大きく考え方が変わることはないだろうし、それを求めているわけでもない。
それ無しに、行ってもしょうがない。
あの頃、景色とか、人を見ていて、本当に何を見ていたかというと結局自分のことだった。
一人で行く旅の道連れは、自分自身だ。
何気ない風景を、鮮明に、ありありと思い出す事が出来る場所がある。
長く住んだ思い入れのある場所ではないのに、忘れられないイメージとなって残っている。
もちろん初めて訪れる国というのもあるけど、自分はこれから何をしていくんだろうという気持ちで溢れている時期だったからこそ、印象的な記憶になっている。
今もそんな不安感はあるけど、適度な諦めも出来てきたし、何が出来て出来ないのかも分かってきた。
旅に替わるものを見つけよう。
ぼんやりと思っていたことだけど、こうして言葉にしていくと言い切れる。
この半年間は、もう一度自分の頭の中を旅しているような感じだった。
言葉ではうまく書き切れないことばかりで、記憶の1%でも書けたなら、伝えたいことの1%でも伝えられたならいいと思う。
こんなこと書きたかったわけじゃないのにな、っていうような訳の分からない内容もあった。
段々と長くなっていっちゃった文章に付き合ってくれてた人がいたなら、読んでくれてありがとう。
面白いことは求めて動かないと見つからない。
今は、僕のやれる場所で、やれることを、やり続けていけたらいいな、と思っています。
あわてず、あせらず、あらそわず、あてにしないで、あきらめず。
ひろし旅 おわり。



