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ダージリン急行
2009-01-31
あした、僕たちはどこにいるんだろう。インドを駆け抜ける列車ダージリン急行で、それぞれ問題を抱えた3人の男が旅をする。
3人とも人生を変える旅を必要としていた。
そんな中、あるトラブルから3人は列車を放り出されてしまう。
というのは、とあるミニシアター系の映画のお話。
カルカッタでしばらく過ごしていると、チベットから一緒だったジェイと離れて無性に一人になりたい気持ちが沸き上がってきた。元々カルカッタのような街にどっぷりはまってしまう、という気質じゃなかったのか、ちょっとした小さな街に行きたくなる。
チャイの素焼きのカップを灰皿にして、ジェイのタバコを1本吸いながら、ベッドで横になりながらドミトリーの日本人に借りた地球の歩き方をペラペラとめくる。
ダージリン。ふとこの名前が目に留まった。
あぁ、ダージリンってこの辺にあるんだ。
天井で回るファンを眺めながら、僕の気持ちも回りだす。
「明日から、ダージリン行ってくるわ。」
夕飯を食べながらジェイにそう言うと、何となく気付いていたのか、
「そっか。じゃぁ戻ってきたら今度は海沿いにでも行こうか。」
と言って、小さなお別れにお酒を色々飲んだ。
まぁ、お互い元々一人で旅している身なのだ。
プラットフォーム
ダージリンまでは、電車でコトコト、バスでドコドコ移動していく。
ダージリン3兄弟
電車の中では、ダージリン急行に出てきそうな3兄弟。
手前のヒゲの兄ちゃんは、僕のカメラをいじりながらうっかりフィルムカバーをあけやがった。
フィルムが感光されて、何枚かの写真がインドの電車の光の中へ消えていった。
その割に、一緒に撮った写真を絶対に送ってくれと、電車にいる間に何度も念を押された。
しつこい。
やれやれ、と思いつつインドだなぁ、なんて思う。
これがトイトレイン
駅から見た風景
ダージリンでは、紅茶を飲んで、街を歩いて、お寺を回って、夜は早めに宿に戻って毛布に包まりながら夜空を見ては物思いにふけっていた。
旅の終わりを感じ始めた頃だった。
この旅は期間も長かったし、うまくいかないことも多かった。
でも、装備は不十分でも、とりあえず行ってやろうという気持ち一つ携えていれば、どこでも行けるし、どこでも生きていけるんだという自信が出来た。
初めてのものでも何でも食べたし、初めての出来事に衝撃を受けたり、理解不足でパニックを超えて思考不能になってしまったりもした。
ただ、そういう経験をこの旅でまとめてしてしまったので、この後の旅では一種の免疫が出来上がってしまって、もうこの時のような大きな衝撃や感動を受けることは無くなってしまった。
正直なところ。
今思えば、こうすればもっと効率よく回れたり、おいしいお店を見つけられたり、安く済ませられたという点はある。
だからといって、あらかじめそれを知って出掛けて行った方がいいとは思わない。
知らないことによる失敗や、無知による衝撃を受けることで、物事をよりよく知ることが出来る。
本や誰かの情報よりも。
とはいえ、分かったようで、分からないことだらけだ。
中途半端な知識で選択するよりも、何も知らない方が何にも捕らわれない行動が出来る。
無知の知、なんて言った人がいるけど、確かに知らなければ知らないことを知っているだけのほうが、結局は誤らない。
知らない方が、結局はよりよく知ることが出来る。その国を。その街を。自分自身を。
今、同じような旅に出て、それが初めての場所であっても、この時のようなナイーブな感受性はもうないと思う。いや、もう無いのだろうということは分かっている。
手に入れたものもあれば、失ったものもある。
それは一言で言うと、経験と未経験だ。
衝撃を受けたり、感動したり、自分の国に感謝したり、そんな事を感じたのは、僕の無知と未経験さのおかげだったのだ。
と同時に、未経験を失い、経験を手に入れる。
こんなふうに言葉にして旅行記を書いているのも、旅の世界を失って、その代わりに得たものの一つである。
未経験も財産。経験も財産になる。
旅先で会った人と、今度はどこへ行きたい? と聞くと色々話した後、
「あの場所はまだ取っておきたいなー」
と、言う人がたまにいる。
行ける時に行っちゃえばいいじゃん。と思っていたけど、今なら分かる。
旅する場所として、残しておきたい場所もある。
未経験、というと負の要素として捕らわれがちだけど(特に転職とか)、こう思うと未経験なのも悪くないかもしれない。
未経験ということは、それだけ新しいことに遭遇してうまくいかなかったり、興奮したり、感動できることが残っているということなのだ。
もちろんその後は、経験という財産が出来る。
あらゆる快楽には耐性がつきもの、と言ってしまえばそれまでだけど、耐性が切れるのを待ってまた旅に出たとしても、その時には同じような旅をするには適齢期を過ぎてしまっているだろう。
と、書いてしまうと、あぁもう旅の世界を失って、つまらない生活になっちゃったんだな、と思われるかもしれない。
僕もそう思っていた。けど、それは違う。
うまく言えないけど、違う。
そんなことをうまく伝えられたらいいな、なんて思っています。
カルカッタでしばらく過ごしていると、チベットから一緒だったジェイと離れて無性に一人になりたい気持ちが沸き上がってきた。元々カルカッタのような街にどっぷりはまってしまう、という気質じゃなかったのか、ちょっとした小さな街に行きたくなる。
チャイの素焼きのカップを灰皿にして、ジェイのタバコを1本吸いながら、ベッドで横になりながらドミトリーの日本人に借りた地球の歩き方をペラペラとめくる。
ダージリン。ふとこの名前が目に留まった。
あぁ、ダージリンってこの辺にあるんだ。
天井で回るファンを眺めながら、僕の気持ちも回りだす。
「明日から、ダージリン行ってくるわ。」
夕飯を食べながらジェイにそう言うと、何となく気付いていたのか、
「そっか。じゃぁ戻ってきたら今度は海沿いにでも行こうか。」
と言って、小さなお別れにお酒を色々飲んだ。
まぁ、お互い元々一人で旅している身なのだ。
プラットフォームダージリンまでは、電車でコトコト、バスでドコドコ移動していく。
ダージリン3兄弟電車の中では、ダージリン急行に出てきそうな3兄弟。
手前のヒゲの兄ちゃんは、僕のカメラをいじりながらうっかりフィルムカバーをあけやがった。
フィルムが感光されて、何枚かの写真がインドの電車の光の中へ消えていった。
その割に、一緒に撮った写真を絶対に送ってくれと、電車にいる間に何度も念を押された。
しつこい。
やれやれ、と思いつつインドだなぁ、なんて思う。
これがトイトレイン
駅から見た風景ダージリンでは、紅茶を飲んで、街を歩いて、お寺を回って、夜は早めに宿に戻って毛布に包まりながら夜空を見ては物思いにふけっていた。
旅の終わりを感じ始めた頃だった。
この旅は期間も長かったし、うまくいかないことも多かった。
でも、装備は不十分でも、とりあえず行ってやろうという気持ち一つ携えていれば、どこでも行けるし、どこでも生きていけるんだという自信が出来た。
初めてのものでも何でも食べたし、初めての出来事に衝撃を受けたり、理解不足でパニックを超えて思考不能になってしまったりもした。
ただ、そういう経験をこの旅でまとめてしてしまったので、この後の旅では一種の免疫が出来上がってしまって、もうこの時のような大きな衝撃や感動を受けることは無くなってしまった。
正直なところ。
今思えば、こうすればもっと効率よく回れたり、おいしいお店を見つけられたり、安く済ませられたという点はある。
だからといって、あらかじめそれを知って出掛けて行った方がいいとは思わない。
知らないことによる失敗や、無知による衝撃を受けることで、物事をよりよく知ることが出来る。
本や誰かの情報よりも。
とはいえ、分かったようで、分からないことだらけだ。
中途半端な知識で選択するよりも、何も知らない方が何にも捕らわれない行動が出来る。
無知の知、なんて言った人がいるけど、確かに知らなければ知らないことを知っているだけのほうが、結局は誤らない。
知らない方が、結局はよりよく知ることが出来る。その国を。その街を。自分自身を。
今、同じような旅に出て、それが初めての場所であっても、この時のようなナイーブな感受性はもうないと思う。いや、もう無いのだろうということは分かっている。
手に入れたものもあれば、失ったものもある。
それは一言で言うと、経験と未経験だ。
衝撃を受けたり、感動したり、自分の国に感謝したり、そんな事を感じたのは、僕の無知と未経験さのおかげだったのだ。
と同時に、未経験を失い、経験を手に入れる。
こんなふうに言葉にして旅行記を書いているのも、旅の世界を失って、その代わりに得たものの一つである。
未経験も財産。経験も財産になる。
旅先で会った人と、今度はどこへ行きたい? と聞くと色々話した後、
「あの場所はまだ取っておきたいなー」
と、言う人がたまにいる。
行ける時に行っちゃえばいいじゃん。と思っていたけど、今なら分かる。
旅する場所として、残しておきたい場所もある。
未経験、というと負の要素として捕らわれがちだけど(特に転職とか)、こう思うと未経験なのも悪くないかもしれない。
未経験ということは、それだけ新しいことに遭遇してうまくいかなかったり、興奮したり、感動できることが残っているということなのだ。
もちろんその後は、経験という財産が出来る。
あらゆる快楽には耐性がつきもの、と言ってしまえばそれまでだけど、耐性が切れるのを待ってまた旅に出たとしても、その時には同じような旅をするには適齢期を過ぎてしまっているだろう。
と、書いてしまうと、あぁもう旅の世界を失って、つまらない生活になっちゃったんだな、と思われるかもしれない。
僕もそう思っていた。けど、それは違う。
うまく言えないけど、違う。
そんなことをうまく伝えられたらいいな、なんて思っています。



