02
15
飛行機を見て決めたこと
2009-02-15
ブータンから2度目のインド入国。もう1度目の感動はない。ブータンから帰って来てからのインドでは、何か脱け殻になったような無気力な状態だった。
戻ってきてからはサダルストリートから一歩も出ずに、道端に座ってコーラを飲むか、散歩しているか、インターネットをしているかで一日が過ぎていった。
安宿の1階にあるパソコンでhotmailを受信すると、大学の友達から再試がいつ頃あるとかってメールが来ていた。
この時期のテストは全てボイコットしてしまったため、ちょっと学校のことも気になった。
もし、本当にこれから旅を続けて行くなら、大学4年前期をボイコットしないといけない。
他の場所の魅力的なものも気になるけど、多少疲れてきていた。
チベット、インドを見て、食傷気味にもなっていた。
そんな気持ちのまま、次の日程を決められずにダラダラと時間が過ぎていた。
帰りのチケットは取っていなかったので、帰国日はどこかで決めなければならない。
空になったコーラの瓶を地面に置いて、この旅で何度目か分からなくなった夕日を待った。
空の青い空間は段々と狭くなり、淡いオレンジ色から、闇の色へと変わっていく。
小さな、白い、少しだけ光っている物体が見えた。
飛行機だった。
その物体は、ちっぽけに見えて、確実に、力強く、夕日から離れるように飛んで行った。
乗っている人は肌寒い機内で、ブランケットに包まれながら映画でも見て、小さなボトルのワインでも飲んでいるのだろうか。
国に帰る人と、出発する人、ビジネスマンに家族連れ、飛行機に乗る人たちのことを想像した。
僕が2ヶ月かけて移動してきた道のりを、飛行機は数時間で飛び越えてしまう。
そんなことを考えていると、懐かしい気持ちがしてきた。
何か抑えきれない気持ちが溢れてくるのを感じた。
・・帰ろう。
帰りたい。この辺りで帰るのだろうな、と予測していた部分はあった。
そう思った翌日に、僕はカルカッタ⇒バンコクのチケットをブータン航空から買った。
ブータンが気になってしまった僕は、ブータン航空のオフィスまで行って買った。
インド出発の日までは海沿いで過ごそうと、ジェイとレンタルバイクを借りて、プーリーというビーチへ向かった。
バイクで数時間だったと思う。
結構遠出になるので道に迷わないか心配だったけど、迷うほど道もなかった。
最後のタコあげ
どれがタコでしょう?
人も集まってきて
みんなで記念撮影
海沿いで天安門広場で買ったタコあげをした。
このタコは鳥の形をしていて、空にあげると海辺の鳥たちが集まってくる。
それを見て、浜辺の人たちが集まってくる。
タコは鳥に突つかれ、僕はインド人たちにタコを貸してくれと突つかれ。
子供たちにタコを貸してみるがヘタクソだ。
タコはこのビーチで役目を終えた。
壊れたタコは浜辺の子供たちにあげてきたけど、直せたのかな。
カルカッタで借りたバイク
インドの浜辺にて
宿から見た風景
ビーチの上にちょこんと立っている宿に泊まって、海に行くか、食事をするかの数日間。
旅行者にもほとんど会うことはなかった。
プーリー最後の夜は、ビーチの近くで祭りが行われていた。
せっかくだし、と思って屋台で焼き魚を買って食べる。
ん?
ちょっと生っぽくないか?
と思ったけど、今までお腹を壊したことがあんまりないのと、残り少ないインドを体験しておきたいと、えぃっと食べてしまった。
旅も長いこと経っていたんで油断も出てきていた。
その日の夜、体が熱くてしょうがなくて目が覚める。
起きると体中がかゆい。
腕、足、背中、頭、そして顔。
掻いても掻いてもどうしようもなくかゆい。
暗闇の中で体を触っていると、じんましんのようなものが体中に出てきているのが分かる。
変な熱で体全体が火照っていて、とにかく冷やそうと冷たいシャワーを浴びた。
体中がただれているのが分かる。
そんな自分の姿を見るのが怖くて、電気を点けずにシャワーを浴びた。
次の日の朝、体を見ると何事もなかったかのようにじんましんは無くなっていた。
何か悪い夢でも見ていたのだろうか・・??
気になるけど、とりあえず体調は前日とそれほど変わらない。
ちょっとお腹の調子が悪いくらい。
宿のおっちゃんに昨日の夜の出来事を話すと、
「うーん、そう言われても分からないな。
何か変なものでも食べたのか?」
「昨日の夜、ビーチの祭りで出てた屋台の魚は食べたけど。」
「え? それだよ、きっと。あそこの屋台のは僕たちも食べないもん。」
マジ?
それを聞いて、やっちゃったか。と思うものの、体調はそれほど悪くなかったのであまり気にしていなかった。
インドを出る前までは何とか体調はもっていた。
きっと潜伏期間だったのだろう。
それが、帰り道に寄ったバンコクでは下痢がひどくて、暑さも重なって脱水症状気味になって、満足に歩くことも出来なくなってしまった。
宿の旅行者が、見かねてバンコクの大きな病院を紹介してくれた。
診断結果は、寄生虫。
入院しろ、と言われたけど翌日帰国予定だったので、薬だけもらってヘロヘロになりながら飛行機に乗った。
成田に着いたときは、衰弱しきっていた。
バックパックを背負うと千鳥足になるし、体も地に着いているような浮いているような。
再入国の際に書く黄色い紙に、今の状態を書くと奥の部屋に連れて行かれた。
タイでの病院の診断書を見せると、早く大きな病院に行きなさいと地元大宮の日赤病院の紹介状を書いてもらう。
日赤では、色々な検査を受けた。
裸になってワンピースのような服を着せられて、無菌室みたいなところでお尻からカメラとか、腸を切り取る医療器具を入れられる。
ベッドの上で寝かせられ、完全にモルモット状態だった。
器具が腸の曲がるところに当たると痛い。
それをお腹の上から手を当てて強引に曲げていく。
日本では見ることのない虫らしく、医者も珍しがって検査の後の説明で図鑑みたいなのを持ち出してきてこんなふうに言う。
「これだよ、これ!」
僕は理科の教科書にでも載っていそうな虫を見て、「はぁ。」とだけ答えて何でもいいから早く治ってくれと思った。
虫を抑えるには強い抗生物質を飲むしかなくて、その副作用で40度近い高熱が出て家に帰ってからも救急車で病院にとんぼ返りしたり。
親にも迷惑をかけた。久しぶりに帰って来たと思ったらこれだもんね。
医者に、ホントにもうちょっと放っておいたらヤバかったんだからね。と言われた。
確かに、体重も52kgまで落ちてたし、ヤク中みたいな顔になってた。
大学の友達の中では、虫に食われたとか、死んだとか、変な噂が飛び交っていた。
こんな結末で、僕の2001年春の旅は終わりました。
次回で、ひとまず旅行記は終わりにしようと思います。
安宿の1階にあるパソコンでhotmailを受信すると、大学の友達から再試がいつ頃あるとかってメールが来ていた。
この時期のテストは全てボイコットしてしまったため、ちょっと学校のことも気になった。
もし、本当にこれから旅を続けて行くなら、大学4年前期をボイコットしないといけない。
他の場所の魅力的なものも気になるけど、多少疲れてきていた。
チベット、インドを見て、食傷気味にもなっていた。
そんな気持ちのまま、次の日程を決められずにダラダラと時間が過ぎていた。
帰りのチケットは取っていなかったので、帰国日はどこかで決めなければならない。
空になったコーラの瓶を地面に置いて、この旅で何度目か分からなくなった夕日を待った。
空の青い空間は段々と狭くなり、淡いオレンジ色から、闇の色へと変わっていく。
小さな、白い、少しだけ光っている物体が見えた。
飛行機だった。
その物体は、ちっぽけに見えて、確実に、力強く、夕日から離れるように飛んで行った。
乗っている人は肌寒い機内で、ブランケットに包まれながら映画でも見て、小さなボトルのワインでも飲んでいるのだろうか。
国に帰る人と、出発する人、ビジネスマンに家族連れ、飛行機に乗る人たちのことを想像した。
僕が2ヶ月かけて移動してきた道のりを、飛行機は数時間で飛び越えてしまう。
そんなことを考えていると、懐かしい気持ちがしてきた。
何か抑えきれない気持ちが溢れてくるのを感じた。
・・帰ろう。
帰りたい。この辺りで帰るのだろうな、と予測していた部分はあった。
そう思った翌日に、僕はカルカッタ⇒バンコクのチケットをブータン航空から買った。
ブータンが気になってしまった僕は、ブータン航空のオフィスまで行って買った。
インド出発の日までは海沿いで過ごそうと、ジェイとレンタルバイクを借りて、プーリーというビーチへ向かった。
バイクで数時間だったと思う。
結構遠出になるので道に迷わないか心配だったけど、迷うほど道もなかった。
最後のタコあげ
どれがタコでしょう?
人も集まってきて
みんなで記念撮影海沿いで天安門広場で買ったタコあげをした。
このタコは鳥の形をしていて、空にあげると海辺の鳥たちが集まってくる。
それを見て、浜辺の人たちが集まってくる。
タコは鳥に突つかれ、僕はインド人たちにタコを貸してくれと突つかれ。
子供たちにタコを貸してみるがヘタクソだ。
タコはこのビーチで役目を終えた。
壊れたタコは浜辺の子供たちにあげてきたけど、直せたのかな。
カルカッタで借りたバイク
インドの浜辺にて
宿から見た風景ビーチの上にちょこんと立っている宿に泊まって、海に行くか、食事をするかの数日間。
旅行者にもほとんど会うことはなかった。
プーリー最後の夜は、ビーチの近くで祭りが行われていた。
せっかくだし、と思って屋台で焼き魚を買って食べる。
ん?
ちょっと生っぽくないか?
と思ったけど、今までお腹を壊したことがあんまりないのと、残り少ないインドを体験しておきたいと、えぃっと食べてしまった。
旅も長いこと経っていたんで油断も出てきていた。
その日の夜、体が熱くてしょうがなくて目が覚める。
起きると体中がかゆい。
腕、足、背中、頭、そして顔。
掻いても掻いてもどうしようもなくかゆい。
暗闇の中で体を触っていると、じんましんのようなものが体中に出てきているのが分かる。
変な熱で体全体が火照っていて、とにかく冷やそうと冷たいシャワーを浴びた。
体中がただれているのが分かる。
そんな自分の姿を見るのが怖くて、電気を点けずにシャワーを浴びた。
次の日の朝、体を見ると何事もなかったかのようにじんましんは無くなっていた。
何か悪い夢でも見ていたのだろうか・・??
気になるけど、とりあえず体調は前日とそれほど変わらない。
ちょっとお腹の調子が悪いくらい。
宿のおっちゃんに昨日の夜の出来事を話すと、
「うーん、そう言われても分からないな。
何か変なものでも食べたのか?」
「昨日の夜、ビーチの祭りで出てた屋台の魚は食べたけど。」
「え? それだよ、きっと。あそこの屋台のは僕たちも食べないもん。」
マジ?
それを聞いて、やっちゃったか。と思うものの、体調はそれほど悪くなかったのであまり気にしていなかった。
インドを出る前までは何とか体調はもっていた。
きっと潜伏期間だったのだろう。
それが、帰り道に寄ったバンコクでは下痢がひどくて、暑さも重なって脱水症状気味になって、満足に歩くことも出来なくなってしまった。
宿の旅行者が、見かねてバンコクの大きな病院を紹介してくれた。
診断結果は、寄生虫。
入院しろ、と言われたけど翌日帰国予定だったので、薬だけもらってヘロヘロになりながら飛行機に乗った。
成田に着いたときは、衰弱しきっていた。
バックパックを背負うと千鳥足になるし、体も地に着いているような浮いているような。
再入国の際に書く黄色い紙に、今の状態を書くと奥の部屋に連れて行かれた。
タイでの病院の診断書を見せると、早く大きな病院に行きなさいと地元大宮の日赤病院の紹介状を書いてもらう。
日赤では、色々な検査を受けた。
裸になってワンピースのような服を着せられて、無菌室みたいなところでお尻からカメラとか、腸を切り取る医療器具を入れられる。
ベッドの上で寝かせられ、完全にモルモット状態だった。
器具が腸の曲がるところに当たると痛い。
それをお腹の上から手を当てて強引に曲げていく。
日本では見ることのない虫らしく、医者も珍しがって検査の後の説明で図鑑みたいなのを持ち出してきてこんなふうに言う。
「これだよ、これ!」
僕は理科の教科書にでも載っていそうな虫を見て、「はぁ。」とだけ答えて何でもいいから早く治ってくれと思った。
虫を抑えるには強い抗生物質を飲むしかなくて、その副作用で40度近い高熱が出て家に帰ってからも救急車で病院にとんぼ返りしたり。
親にも迷惑をかけた。久しぶりに帰って来たと思ったらこれだもんね。
医者に、ホントにもうちょっと放っておいたらヤバかったんだからね。と言われた。
確かに、体重も52kgまで落ちてたし、ヤク中みたいな顔になってた。
大学の友達の中では、虫に食われたとか、死んだとか、変な噂が飛び交っていた。
こんな結末で、僕の2001年春の旅は終わりました。
次回で、ひとまず旅行記は終わりにしようと思います。



