11
15
リアルドラゴンクエスト
2008-11-15
丸3日のトラックヒッチ移動がもうすぐ終わる。言葉も通じないまま、どこを走っているのかよく分からないまま、行けるもんなんだなぁ。
言葉が通じない分、人の気持ちに敏感になれて、感じられないことが感じられたりするもんだ。
ラサの街並みが見えてくると、みんな無言のままトラックは中心部へと走っていく。
僕はようやく山の中に現れた街並みを見て、無事着けたというホッとした気持ちと、ついに着いたラサの街を目の当たりにして興奮してきた。
ラサに着くと、中心部から近いヤクホテルというところを見つけてここに泊まることにした。
ドミトリーには日本人が1人と韓国人が2人いた。
この旅行で初めての旅行者との出会いだ。
嬉しくて今までの道のりと、ラサで面白そうなこと、ホッとして色々話してしまう。
高山病もいつのまにか忘れ、寝不足で疲労はピークのはずなのにすぐに街中へ出かけた。
お参りの仕方をたたき込まれる
ジョカンから見下ろした街並み
五体投地する人々
ポタラ宮殿の前でタコ上げ
夜は宿にいた旅行者たちと一緒にご飯を食べに行った。
あとそう、チベット料理は味の面ではそんなに期待できないです。
もちろんそれが文化であってチベットであって、グルメな人には辛いかもしれない。
中華を食べたのだけど久々においしいものを食べた。
ラサは流石にチベットの大都市だけあって、意外とおいしいお店があるのだ。
ケーキ、ジェラートなんてものもあるし、結構おいしい。
店でいろんなものを頼んでワイワイ食べて満足。一人じゃこうはいかない。
お腹が満足した後は、ビールを買って宿で飲んだ。
自分と同じくヒッチハイクで来た人。
チベット人の乗る巡礼車に乗ってきた人。
チャリンコで来た人。
馬を買ってチベットまで来た人。
なんて人たちなんだ。
チャリンコっていうのはやってそうな人がいるとは思っていたけど、馬で来るなんてことは想像を超えていた。ヒッチで辛い思いをしたのに、次は馬か・・ なんて思ってしまった。
こんな旅をしていると、日本ではなかなか会えないような人たちに会える。
そして一人旅をしていると、宿で一緒になった人たちや、酒場であった人たちと気が合って一緒に行動することになったりする。
辺境の町の宿や、次の目的地への情報を求めて歩いているうちに旅の仲間ができる。
同じ学生や、全くバックグラウンドが違う人たちと、パーティーを組んで色々なところへ行った。
ドラクエかよっ、て思う出来事が普通に起こるのだ。
山しかないような景色から、ふもとにちょこんと町が見えてくる。
町にたどり着くまで危険なところもある。
そして、思わぬ展開になることもある。
旅人の数だけドラクエがあって、その展開も旅人の数だけ存在する。
ヤクホテルでは、"missing (行方不明邦人)"のビラを何枚か見た。
旅の途中で、消息が途絶えて知った人たちの捜索のためのものだ。
その時は無事見つかってほしい、と思う程度だった。
これを書きながら、ネットでちょっと探してみるとこんなページが見つかった。
海外行方不明者家族の会
http://www.alpha.dti2.ne.jp/~missing/
僕が行った時期よりちょっと前で、泊まったホテルは同じだしルートも同じところがある。
シガツェのフルーツホテルも知っている。
この人たちはどんな旅程で、装備で、思いで向かったのだろうか。
何があって、今どうしているのだろうか。
人のこととは思えず、時間と場所を超えて想像してしまった。
ホテルで人づてに聞いた話なのだけど、カイラスへ自転車で向かう途中に亡くなったオランダ人がいたそうだ。前年の冬になるちょっと前のことらしい。
自転車で向かう途中、テントを張って泊まると翌日にテントを覆うように雪が積もり、自転車で走るのもちょっと厳しい状態になった。
その時は何とかなるだろうと、テントの中で日記を書きながら1日を過ごし、雪が溶けるのを待っていたそうだ。すると翌日も、その翌日も雪は溶けるどころかさらに積もり、テントから出ることすら困難な状態になってしまった。
そして数ヶ月が経ち雪が融けてきたころに、テントと自転車と、日記が見つかった。
日記の内容を聞いたときは、今でもすぐによみがえるほどの衝撃的な感覚に包まれた。
そのオランダ人には、一緒にカイラスへは行かなかったけど自転車で旅する友達がいて、友達は世界中を自転車で旅した後に弔いとしてカイラスへ向かうと聞いた。
友達は無事カイラスへたどり着けたのだろうか。
もう一度チベットへ戻ってくることはできたのだろうか。
ラサに行った頃はどこか人ごとのように感じていて、自分は大丈夫、みたいに思っていた。
だけど今は、人間の命がいかに簡単に奪われるものなのかを思い知っている。
そしてそれは、人ごとではないのだと、ごく自然な感覚として感じることができる。
僕はようやく山の中に現れた街並みを見て、無事着けたというホッとした気持ちと、ついに着いたラサの街を目の当たりにして興奮してきた。
ラサに着くと、中心部から近いヤクホテルというところを見つけてここに泊まることにした。
ドミトリーには日本人が1人と韓国人が2人いた。
この旅行で初めての旅行者との出会いだ。
嬉しくて今までの道のりと、ラサで面白そうなこと、ホッとして色々話してしまう。
高山病もいつのまにか忘れ、寝不足で疲労はピークのはずなのにすぐに街中へ出かけた。
お参りの仕方をたたき込まれる
ジョカンから見下ろした街並み
五体投地する人々
ポタラ宮殿の前でタコ上げ夜は宿にいた旅行者たちと一緒にご飯を食べに行った。
あとそう、チベット料理は味の面ではそんなに期待できないです。
もちろんそれが文化であってチベットであって、グルメな人には辛いかもしれない。
中華を食べたのだけど久々においしいものを食べた。
ラサは流石にチベットの大都市だけあって、意外とおいしいお店があるのだ。
ケーキ、ジェラートなんてものもあるし、結構おいしい。
店でいろんなものを頼んでワイワイ食べて満足。一人じゃこうはいかない。
お腹が満足した後は、ビールを買って宿で飲んだ。
自分と同じくヒッチハイクで来た人。
チベット人の乗る巡礼車に乗ってきた人。
チャリンコで来た人。
馬を買ってチベットまで来た人。
なんて人たちなんだ。
チャリンコっていうのはやってそうな人がいるとは思っていたけど、馬で来るなんてことは想像を超えていた。ヒッチで辛い思いをしたのに、次は馬か・・ なんて思ってしまった。
こんな旅をしていると、日本ではなかなか会えないような人たちに会える。
そして一人旅をしていると、宿で一緒になった人たちや、酒場であった人たちと気が合って一緒に行動することになったりする。
辺境の町の宿や、次の目的地への情報を求めて歩いているうちに旅の仲間ができる。
同じ学生や、全くバックグラウンドが違う人たちと、パーティーを組んで色々なところへ行った。
ドラクエかよっ、て思う出来事が普通に起こるのだ。
山しかないような景色から、ふもとにちょこんと町が見えてくる。
町にたどり着くまで危険なところもある。
そして、思わぬ展開になることもある。
旅人の数だけドラクエがあって、その展開も旅人の数だけ存在する。
ヤクホテルでは、"missing (行方不明邦人)"のビラを何枚か見た。
旅の途中で、消息が途絶えて知った人たちの捜索のためのものだ。
その時は無事見つかってほしい、と思う程度だった。
これを書きながら、ネットでちょっと探してみるとこんなページが見つかった。
海外行方不明者家族の会
http://www.alpha.dti2.ne.jp/~missing/
僕が行った時期よりちょっと前で、泊まったホテルは同じだしルートも同じところがある。
シガツェのフルーツホテルも知っている。
この人たちはどんな旅程で、装備で、思いで向かったのだろうか。
何があって、今どうしているのだろうか。
人のこととは思えず、時間と場所を超えて想像してしまった。
ホテルで人づてに聞いた話なのだけど、カイラスへ自転車で向かう途中に亡くなったオランダ人がいたそうだ。前年の冬になるちょっと前のことらしい。
自転車で向かう途中、テントを張って泊まると翌日にテントを覆うように雪が積もり、自転車で走るのもちょっと厳しい状態になった。
その時は何とかなるだろうと、テントの中で日記を書きながら1日を過ごし、雪が溶けるのを待っていたそうだ。すると翌日も、その翌日も雪は溶けるどころかさらに積もり、テントから出ることすら困難な状態になってしまった。
そして数ヶ月が経ち雪が融けてきたころに、テントと自転車と、日記が見つかった。
日記の内容を聞いたときは、今でもすぐによみがえるほどの衝撃的な感覚に包まれた。
そのオランダ人には、一緒にカイラスへは行かなかったけど自転車で旅する友達がいて、友達は世界中を自転車で旅した後に弔いとしてカイラスへ向かうと聞いた。
友達は無事カイラスへたどり着けたのだろうか。
もう一度チベットへ戻ってくることはできたのだろうか。
ラサに行った頃はどこか人ごとのように感じていて、自分は大丈夫、みたいに思っていた。
だけど今は、人間の命がいかに簡単に奪われるものなのかを思い知っている。
そしてそれは、人ごとではないのだと、ごく自然な感覚として感じることができる。



