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バイク日本旅(能登半島と京都)
2008-09-14
2000年 夏。お酒が抜けきらないまま、上越市の友達の家を出発して京都の友達の家を目指しました。
日本海の海岸沿いは、とても海風が心地よかった。止まるとさすがに暑いけど。
一日で京都へ行くのはもったいないので、能登半島に寄って行くことにした。
なぎさハイウェイ砂浜の海岸を車で走れる道路。
砂浜ですが砂はかなり固く、走行はほとんど問題なしです。
ところどころ砂が固まってないところもあるので要注意。バイクの人は気をつけて。
機具岩(はたごいわ)機織の神様の伝説を生んだ夫婦岩で、能登二見とも呼ばれています。夕日に映える機具岩のシルエットはとてもロマンチックなそうだが、夕日まで待てないので残念。
能登半島へ夕方頃に来たものの、泊まるところがなかなか見つからない。
高そうな旅館はいっぱいあるけど、素泊まりできるライダーハウスのようなところが全然ない。
まぁ最悪野宿かな、と思いつつ汗もかいたし途中見つけた和倉温泉の総湯で、とりあえずゆっくりと疲れを癒した。
涼しい風にあたりながら、荷物をバイクに戻していると初老の男が話し掛けてきた。
札幌ナンバーのバイクに興味を持ったらしく、
「札幌から来たのか。これからどこまで行く予定なのか?」と聞いてきて、自分はバイクで能登にツーリングにきている若者をよく家に泊めているんだと言ってくる。
家がすぐ近くだからコーヒーでも飲んでいかないかと誘われ、ちょっとだけお邪魔することにした。
見た目は普通の一軒家なんだけど、中は洒落た喫茶店のような感じでちょっと薄暗く、植物が生い茂っていたのを覚えている。
マレーシアで、詐欺師(多分)にだまされそうになった経験があるのに、日本の温泉街という場所のせいか警戒信号がゆるんでいた・・

この旅行記を書いている今、この出来事について同じような経験をした人がいないかとネットで検索していたら見つけてしまった。この初老の男は「能登の玉三郎」と呼ばれているらしく、詳しい説明は「能登の玉三郎」でGoogle検索してみてほしい。
結局、泊めてもらうことになったのだけど、この場所は能登半島のブラックゾーンとして僕の頭に記録されている。
翌日の僕です泊めてもらったのは僕一人ではなく、もう一人いた。
その一人と能登半島を出るところまで一緒に走り、別れ際に写真を一枚撮ってもらった。
今日の宿泊予定は京都だ。
京都では、北海道の函館のとあるジャズ喫茶店で知り合った友達と、この年のアジア旅行のタイで会った友達が住んでいる。
彼らを頼って泊めてもらう予定だ。
琵琶湖畔の道を京都へ進む
五山送り火京都では立命館大学、同志社大学、京都大学と大学巡りをしたり、金閣寺を見たり、五山送り火を見たり。そうそう、僕は立命館大学を志望していた時期もありました。
ロボティクス学科というのがあって、いつかロボット博士になりたいと思っていた僕はその名前だけに惹かれて受験しました。
結局、ロボットの道にも、進んだ大学で専攻した分野にも進まなかったのだけど。
この先もどうなっていくんでしょう。
最近、気になった言葉に、「セレンビリティ」というのがあります。
簡単に言うと「偶然は必然である。」というような意味なんだけど、確かに必然の積み重ねよりも、偶然の積み重ねの方が人生に大きく影響している気がする。
だから先が見えなくても、きっと最後は偶然のふりをした必然が助けてくれる。
一寸先は闇でいい。 (1979〜 ひろしマーチ 日本)
他は、学生街のお店で超でっかいお好み焼きを食べたり、食べきれなかったり。
函館で会った友達と、タイで会った友達の家に行って飲みすぎて記憶がなくなったり。
函館で会った友達には色々とお世話になりました。色々と迷惑もかけちゃってごめんなさい。
そしてなんと偶然にも、僕が韓国に行く時期に函館で会った友達は旅行で、タイで会った友達は学会でソウルに行くんだと聞く。世間は狭い、というか本当は気がついていないだけで、人の人生は色々なところでリンクしているんじゃないかと思う。
予定を合わせ、ソウルでまた会うことを約束して一旦お別れした。
京都大学の生協で韓国行きのフェリーチケットを買って準備を整え、お酒も抜けてきた頃に島根の親の実家をひたすら下道で目指しました。



