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バイク日本旅(札幌から新潟)
2008-09-13
2000年 夏。ヒッチハイクで埼玉の実家に着いた翌日、札幌へ飛行機で戻ってその翌日、バイクで札幌から韓国を目指しました。
このバイク日本旅と、その後続く韓国での旅は、ひたすら出会いと再会が続く旅だった。
3週間ほどの間、お金を出して宿に泊まったのは2、3日だけでした。
宿に泊まらない時は、友達の家とか、旅先で会った人の家とか、親の実家とか、神社とか、駅のベンチに泊まっていた。
ヒッチハイクで実家に帰ると、親から「なにやってんのあんたは。」と言われた。
24時間以上寝てないのでほとんど相手にせずに、「明日札幌に帰って、バイクで韓国まで行くから。」と言うと親はよく理解できないまま、ワーワー言ってくる。
バイクで下関まで行く途中に、新潟と島根の親の実家を頼っていきたいと、住所聞いて大体着きそうな日だけを伝えた。母親はちょうどその頃、新潟の実家に帰るようだ。
元々ほとんど手ぶらでヒッチハイクしてきたので、手ぶらで札幌へ帰り急いで準備をした。
準備といっても、財布と携帯電話とパスポートがあることを確認したら、あとはちょっとした着替えがあれば十分。休みで暇してたのか、ふらっと大学の友達が家にくる。
出発の準備をしているのを見て、「ヒッチハイクで実家に帰るんだって?」と聞いてきたんで、
「一昨日帰ったよ。」と答えると、「え?」という反応が返ってくる。
「なんで今札幌にいるんだっけ? 今からどこ行くんだっけ?」
「昨日札幌に戻ってきて、今からバイクで韓国まで行くんだ。」
「マジかー。」
流石に親より理解が早い。
途中まで友達の原付と一緒に走り、室蘭へと続く国道に乗るところで別れる。
走り出して気がついたのだけど、室蘭出発のフェリーの時間まで余裕がない。
しかも室蘭へ行くのは初めてだったので、道も合っているのか不安になる。
バイクに荷物を色々とくくり付けて乗るのも初めてだったので、落ちていないか不安になる。
そういや高校のときの部活の友達が室蘭の大学に行ってたな・・、と走りながら思い出してコンビニで休んだ時に電話してみる。すると、その室蘭の友達の家に、数日前から部活の友達が遊びに来ていたらしく、これからその友達をフェリーターミナルまで送りに行くそうだ。
なんて偶然! こんなことってあるのだろうか。
乗るフェリーは違うけど、出発の時間はほとんど一緒だ。
急げ。突然のプチ同窓会だ。
なんとかフェリーの時間に間に合い、部活の友達にも再会できた。
遊びに来ていたやつは、今はキャリア官僚となり財務省で働いている。
室蘭のやつは超有名なメーカーで働いている。
あいつがなぁ、と思うやつほど立派になっていったりする。
フェリーの中のことはよく覚えていない。
多分ヒッチから移動が続いていたので疲れて、グッスリ寝ていたんだと思う。
これからも移動が続くのだ。休めるときは休まないとね。
明け方、ついに本州にバイクで上陸する。
まずは新潟の母親の実家を目指して走る。
母親は僕の着くちょっと前に来ていたようで、
「数日前にヒッチハイクで帰って来たと思ったら、今度はバイクで現れたよ。」、なんてことをおじさんおばさんと、しょーがない子だわみたいに話していた。
新潟の田舎は高校2年のときに、青春18切符で部活の友達6人で来たっきりだ。
くじらなみ、というビーチに行ったり、夜な夜な田んぼの中を歩きながらビールを飲んだり、畑の中で夜空を見ながら寝て、歌しりとりをしたり。
自動販売機に集まった蛙をつかまえて背中に入れてみたり。
大したことはしてなかったけど、今思い出すとあれが青春っていうのかなー。
帰りの電車では、18切符で特急にこっそり乗ってみた。
案の定、車掌の挟み打ちにあい、トイレや洗面所に隠れる。
もうそろそろいいかな、と思ってみんなで外へ出てみるとニヤリと笑う車掌が前にいた。
荷物をデッキに置きっぱなしだったから、怪しんで待ち伏せしていたようだ。
このとき一緒に行った友達の一人が、高校3年のときに交通事故で亡くなった。
1995年7月20日。代ゼミの模試を受けていた日だった。
試験中、変な噂が伝わってきて
「何言ってんだよ。いい加減にしろって。」と友達に言うと、いいから学校まで来いと言われた。
いやな予感がした。
高校へ寄ると、職員室では担任がひたすら電話をかけていた。
職員室のテレビには友達の写真が映っていた。夕方のニュースだった。
翌日の新聞の事故記事を見ても、葬式に行っても実感はわかなかった。今でも実感はない。
それから5年後、今度は一人で夜道を歩いてみる。
小さい頃来た時からほとんど何も変わっていない。
変わってないけど近所の塀は低く見えて、道もこんなに狭かったのかと思い、まるでガリバートンネルを通って巨人になったかのように全てが小さく感じられた。
小さかった頃の自分と、いとこと遊んでいた景色が浮かんでくる。
辺りを見回すと、子供の頃の自分の気配がした。
親の実家を出た後は、上越市の大学の友達の実家に行きました。
その友達の友達も集めて飲む。明け方まで飲む。
翌日、お酒が抜けきらないまま能登半島を目指した。
そして能登半島では知ってる人は知っている、あの事件が起きる。
ヒッチハイクで実家に帰ると、親から「なにやってんのあんたは。」と言われた。
24時間以上寝てないのでほとんど相手にせずに、「明日札幌に帰って、バイクで韓国まで行くから。」と言うと親はよく理解できないまま、ワーワー言ってくる。
バイクで下関まで行く途中に、新潟と島根の親の実家を頼っていきたいと、住所聞いて大体着きそうな日だけを伝えた。母親はちょうどその頃、新潟の実家に帰るようだ。
元々ほとんど手ぶらでヒッチハイクしてきたので、手ぶらで札幌へ帰り急いで準備をした。
準備といっても、財布と携帯電話とパスポートがあることを確認したら、あとはちょっとした着替えがあれば十分。休みで暇してたのか、ふらっと大学の友達が家にくる。
出発の準備をしているのを見て、「ヒッチハイクで実家に帰るんだって?」と聞いてきたんで、
「一昨日帰ったよ。」と答えると、「え?」という反応が返ってくる。
「なんで今札幌にいるんだっけ? 今からどこ行くんだっけ?」
「昨日札幌に戻ってきて、今からバイクで韓国まで行くんだ。」
「マジかー。」
流石に親より理解が早い。
途中まで友達の原付と一緒に走り、室蘭へと続く国道に乗るところで別れる。
走り出して気がついたのだけど、室蘭出発のフェリーの時間まで余裕がない。
しかも室蘭へ行くのは初めてだったので、道も合っているのか不安になる。
バイクに荷物を色々とくくり付けて乗るのも初めてだったので、落ちていないか不安になる。
そういや高校のときの部活の友達が室蘭の大学に行ってたな・・、と走りながら思い出してコンビニで休んだ時に電話してみる。すると、その室蘭の友達の家に、数日前から部活の友達が遊びに来ていたらしく、これからその友達をフェリーターミナルまで送りに行くそうだ。
なんて偶然! こんなことってあるのだろうか。
乗るフェリーは違うけど、出発の時間はほとんど一緒だ。
急げ。突然のプチ同窓会だ。
なんとかフェリーの時間に間に合い、部活の友達にも再会できた。
遊びに来ていたやつは、今はキャリア官僚となり財務省で働いている。
室蘭のやつは超有名なメーカーで働いている。
あいつがなぁ、と思うやつほど立派になっていったりする。
フェリーの中のことはよく覚えていない。
多分ヒッチから移動が続いていたので疲れて、グッスリ寝ていたんだと思う。
これからも移動が続くのだ。休めるときは休まないとね。
明け方、ついに本州にバイクで上陸する。
まずは新潟の母親の実家を目指して走る。
母親は僕の着くちょっと前に来ていたようで、
「数日前にヒッチハイクで帰って来たと思ったら、今度はバイクで現れたよ。」、なんてことをおじさんおばさんと、しょーがない子だわみたいに話していた。
新潟の田舎は高校2年のときに、青春18切符で部活の友達6人で来たっきりだ。
くじらなみ、というビーチに行ったり、夜な夜な田んぼの中を歩きながらビールを飲んだり、畑の中で夜空を見ながら寝て、歌しりとりをしたり。
自動販売機に集まった蛙をつかまえて背中に入れてみたり。
大したことはしてなかったけど、今思い出すとあれが青春っていうのかなー。
帰りの電車では、18切符で特急にこっそり乗ってみた。
案の定、車掌の挟み打ちにあい、トイレや洗面所に隠れる。
もうそろそろいいかな、と思ってみんなで外へ出てみるとニヤリと笑う車掌が前にいた。
荷物をデッキに置きっぱなしだったから、怪しんで待ち伏せしていたようだ。
このとき一緒に行った友達の一人が、高校3年のときに交通事故で亡くなった。
1995年7月20日。代ゼミの模試を受けていた日だった。
試験中、変な噂が伝わってきて
「何言ってんだよ。いい加減にしろって。」と友達に言うと、いいから学校まで来いと言われた。
いやな予感がした。
高校へ寄ると、職員室では担任がひたすら電話をかけていた。
職員室のテレビには友達の写真が映っていた。夕方のニュースだった。
翌日の新聞の事故記事を見ても、葬式に行っても実感はわかなかった。今でも実感はない。
それから5年後、今度は一人で夜道を歩いてみる。
小さい頃来た時からほとんど何も変わっていない。
変わってないけど近所の塀は低く見えて、道もこんなに狭かったのかと思い、まるでガリバートンネルを通って巨人になったかのように全てが小さく感じられた。
小さかった頃の自分と、いとこと遊んでいた景色が浮かんでくる。
辺りを見回すと、子供の頃の自分の気配がした。
親の実家を出た後は、上越市の大学の友達の実家に行きました。
その友達の友達も集めて飲む。明け方まで飲む。
翌日、お酒が抜けきらないまま能登半島を目指した。
そして能登半島では知ってる人は知っている、あの事件が起きる。



