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坂の上の雲をめぐる
2008-08-17
司馬遼太郎の「坂の上の雲」全八巻をついに読了しました。崖の上のポニョじゃないです。この小説の舞台は、愛媛の松山から満州、ロシアへと移っていきます。
去年はゆかりの地を探しに愛媛まで行き、今年は横須賀に行ってきました。
今年の終戦記念日は、太平洋戦争のひとつ前の戦争である日露戦争の主役を見に行ってきました。
主役というのは日露戦争において繰り広げられた日本海海戦で、ロシア艦隊に完勝して終戦を決定づけた戦艦三笠です。この戦争に負けていたら、今の日本の姿は随分と変わっていたことでしょう。この小説について、日露戦争について書き出すと止まらないので写真をどーぞ。
前から見た三笠
後ろから見た三笠
日本海軍の司令官、東郷平八郎
負けたら国は滅びる、ってことです
こいつで海沿いを走ってきました
去年の松山では、秋山兄弟のゆかりの地を巡ってきました。

左:秋山好古 右:秋山真之
今回は久しぶりにバイクで遠出で、出掛けるまでは行きたい気持ちはあれど正直面倒に感じるところもありました。実際に荷物を用意して、地図を開くとだんだん気分が乗ってくるんだけどね。
腰が重くなってきたのは確かです。
出発は11時過ぎ。暑い。じっとしていると皮膚がチリチリしてくるのが分かる。
街中の信号待ちが辛い。あ、忘れ物した気がする。
でもそんなことはもうどうでもいい。早くこの都会から脱出する方が今の僕には問題だ。
バイクという乗り物に、僕は18歳の時から乗り続けてもう10年以上経ちます。
途中、大学院のときにバイクを盗まれてから社会人1年目までは乗っていなかったけど。
この、前にしか進めなくて、夏の日は暑くて、冬の日は寒くて、雨の日なんて滝に打たれる僧の気持ちになれる乗り物が何で好きなんだろう。
海沿いを走っていて、いろんな事を思い出した。
10年前、北海道を原付で一周したときのこと。北海道ではすれ違うバイクに手をあげて挨拶するので、今回ツーリングらしきバイクを見つけたときには挨拶したくてしょうがなかった。
400ccのバイクを買ってから、ふらっと出掛けてはよく何日か帰らなかった。
そのバイクで札幌から下関まで走り、バイクを置いて韓国に渡った。
GWの深夜にマンガ喫茶に行ったら、明け方バイクが無くなっていた。
そんなことが色々とフラッシュバックする。
バイクは現実をあっさりと置き去りにしてくれる。
そして置き去りにしていた感覚を思い出させてくれる。
それからバイクは何か人間臭いのだ。
当たり前だけど、バイクは2つのタイヤで走る。直立して走るためには人間がバランスをとり、絶妙なアクセルワークが必要になる。バイクも走るためには人間の力が不可欠なのだ。
車はいつか自動走行できるようになると思う。まぁ、バイクも自動走行できる時代が来るかもしれないけど、そんなバイクに何の意味があるのだろう。
だから走っているとバイクと妙に息が合う瞬間がある。感覚だけで手足のように動くようになる。
止まると倒れてしまうこの乗り物は、バランスを崩した時こそアクセルを吹かす必要がある。
夏は暑くて冬は寒いのも、しょうがない。
バイクに乗った僕らはむき出しだ。ヘルメットもジャケットもほとんど無意味だ。
体は街にさらけ出されて、季節にさらけ出されて、その土地土地にさらけ出されてしまう。
そしてさらけ出された体は、季節に染まって、土地土地に染まっていく。
ちょっとした気温の変化や、潮の匂いが感じられるようになる。
あーまた、バイクでどっか行ってみたいなと休みの終わりに思うのでした。
主役というのは日露戦争において繰り広げられた日本海海戦で、ロシア艦隊に完勝して終戦を決定づけた戦艦三笠です。この戦争に負けていたら、今の日本の姿は随分と変わっていたことでしょう。この小説について、日露戦争について書き出すと止まらないので写真をどーぞ。
前から見た三笠
後ろから見た三笠
日本海軍の司令官、東郷平八郎
負けたら国は滅びる、ってことです
こいつで海沿いを走ってきました去年の松山では、秋山兄弟のゆかりの地を巡ってきました。

左:秋山好古 右:秋山真之
今回は久しぶりにバイクで遠出で、出掛けるまでは行きたい気持ちはあれど正直面倒に感じるところもありました。実際に荷物を用意して、地図を開くとだんだん気分が乗ってくるんだけどね。
腰が重くなってきたのは確かです。
出発は11時過ぎ。暑い。じっとしていると皮膚がチリチリしてくるのが分かる。
街中の信号待ちが辛い。あ、忘れ物した気がする。
でもそんなことはもうどうでもいい。早くこの都会から脱出する方が今の僕には問題だ。
バイクという乗り物に、僕は18歳の時から乗り続けてもう10年以上経ちます。
途中、大学院のときにバイクを盗まれてから社会人1年目までは乗っていなかったけど。
この、前にしか進めなくて、夏の日は暑くて、冬の日は寒くて、雨の日なんて滝に打たれる僧の気持ちになれる乗り物が何で好きなんだろう。
海沿いを走っていて、いろんな事を思い出した。
10年前、北海道を原付で一周したときのこと。北海道ではすれ違うバイクに手をあげて挨拶するので、今回ツーリングらしきバイクを見つけたときには挨拶したくてしょうがなかった。
400ccのバイクを買ってから、ふらっと出掛けてはよく何日か帰らなかった。
そのバイクで札幌から下関まで走り、バイクを置いて韓国に渡った。
GWの深夜にマンガ喫茶に行ったら、明け方バイクが無くなっていた。
そんなことが色々とフラッシュバックする。
バイクは現実をあっさりと置き去りにしてくれる。
そして置き去りにしていた感覚を思い出させてくれる。
それからバイクは何か人間臭いのだ。
当たり前だけど、バイクは2つのタイヤで走る。直立して走るためには人間がバランスをとり、絶妙なアクセルワークが必要になる。バイクも走るためには人間の力が不可欠なのだ。
車はいつか自動走行できるようになると思う。まぁ、バイクも自動走行できる時代が来るかもしれないけど、そんなバイクに何の意味があるのだろう。
だから走っているとバイクと妙に息が合う瞬間がある。感覚だけで手足のように動くようになる。
止まると倒れてしまうこの乗り物は、バランスを崩した時こそアクセルを吹かす必要がある。
夏は暑くて冬は寒いのも、しょうがない。
バイクに乗った僕らはむき出しだ。ヘルメットもジャケットもほとんど無意味だ。
体は街にさらけ出されて、季節にさらけ出されて、その土地土地にさらけ出されてしまう。
そしてさらけ出された体は、季節に染まって、土地土地に染まっていく。
ちょっとした気温の変化や、潮の匂いが感じられるようになる。
あーまた、バイクでどっか行ってみたいなと休みの終わりに思うのでした。



