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シアヌークビルの浜辺
2008-08-30
2000年 春。プノンペンからバンコクへ、海沿いのルートで戻る途中にこの町に寄りました。
シアヌークビルはカンボジアのビーチリゾートです。リゾートといっても宿と海しかないような場所で、すごいのんびりした場所でした。カンボジアにも色々な顔があるのだ。
ここでやったことといえば、海でのんびりしていたこと、宿と近くの食堂を行き来していたこと。
それくらいだったと思う。

海沿いでボケーっとしていると、頭の上に大きなお盆を乗せた物売りの子供達が来る。
少し話した後、パンパンに膨らんだスナック菓子とゆで卵を買った。
このゆで卵がただのゆで卵ではなくて、ホビロンと言われる孵化途中のゆで卵だった。
卵の上からスプーンでコンコンと叩いて殻を割ると、羽だったり頭? みたいなものがひょっこり現れる。そこにライムを少し搾って一口食べてみると、見た目はともかく、味はなんともいえないチキンスープのような感じで、僕は鳥料理のエッセンスが凝縮されているこの食べ物が気に入ってしまった。
毎日浜辺で、このホビロンとスナック菓子でビールを飲みながら海を見ていた。
食堂では、店の子供が乾電池と豆電球で遊んでいた。
近くには裸電球の明かりをたよりに、スヌーカーをしている若者がいた。
夜の波の音が、あぁもうこの旅も終わるんだなって感傷にひたらせる。
宿では偶然、アンコールワットに向かう際に車の荷台で一緒になった日本人に会った。
こんなことが起こるから不思議だ。
働いてからの話だけど、マレーシアの小さな島から小さな飛行機でシンガポールに飛んで、着いたはいいもののこれまた小さな空港で、両替所が無くてタクシーに乗れず困ったことがある。
そのときシンガポールの街中までタクシーの相乗りをお願いした旅行者(日本人&ロシア人)と、数カ月後に銀座の歩行者天国で偶然会ってびっくりした。
その時はシンガポールに2人で行っていて、再会した時も同じ面子(4人)でみんなシンガポールで会ったときと同じような服装で、偶然とはいえこんなことってあるのかと思った。
「どうも。お久しぶりです。あの時は助かりました。」
なんてことを話して、「それではまたどこかで。」と言って別れた。
ほんの10秒程度の再会だった。まるで近所の人に挨拶するような感じだった。
もしまた会うことがあったら、そのときは飲みにでも誘いたいななんて思っている。
これまで旅して出会った人たちと別れるときは、「いつかどこかで。」と言って別れてきた。
「さようなら。」ではないんです。
いつなんだろう。どこなんだろう。会う約束は口にしないし、生きているうちに本当に会う機会があるのか分からないけど、どこかでまた会えることを期待していると、ささやかに伝えられる
「いつかどこかで。」という言葉が大好きだ。
出会った時間は二度と巡っては来ないたった一度きりのもの、というのに「一期一会」という言葉があるけど、実際には一期二会も三会もあると思う。
出会った機会を大切に思って、その時その時で最高の時間を過ごすことは大事。
そして、別れた後にその人のことを想って、今は何をしてるのかなと思うことも大事だと思う。
僕たち旅人は何か細い糸で繋がっている。
よくある赤いやつで繋がっていった人たちもいる。
糸にたぐりよせられて、僕らはまた旅に出る。
これで、2000年春の旅は終わります。
途中から、日記が無いと書けないかと思ったけどそんなことはなかった。
書きたいと思うことはいっぱいあって、その1%でも書けたならいいかなというくらい。
大体、そんなすぐに忘れてしまうような時間ではなかったのだ。
思ったこと、感じたことばっか書いていて、旅行記ではないのでは? なんて思ってしまうけどそれでもいい。
数年前の現地の情報なんてそんなに価値はないだろうし、遺跡や観光地についてはガイドブックや他のブログにお願いして、僕は感じたことをそのまま書いていきたい。
それくらいだったと思う。

海沿いでボケーっとしていると、頭の上に大きなお盆を乗せた物売りの子供達が来る。
少し話した後、パンパンに膨らんだスナック菓子とゆで卵を買った。
このゆで卵がただのゆで卵ではなくて、ホビロンと言われる孵化途中のゆで卵だった。
卵の上からスプーンでコンコンと叩いて殻を割ると、羽だったり頭? みたいなものがひょっこり現れる。そこにライムを少し搾って一口食べてみると、見た目はともかく、味はなんともいえないチキンスープのような感じで、僕は鳥料理のエッセンスが凝縮されているこの食べ物が気に入ってしまった。
毎日浜辺で、このホビロンとスナック菓子でビールを飲みながら海を見ていた。
食堂では、店の子供が乾電池と豆電球で遊んでいた。
近くには裸電球の明かりをたよりに、スヌーカーをしている若者がいた。
夜の波の音が、あぁもうこの旅も終わるんだなって感傷にひたらせる。
宿では偶然、アンコールワットに向かう際に車の荷台で一緒になった日本人に会った。
こんなことが起こるから不思議だ。
働いてからの話だけど、マレーシアの小さな島から小さな飛行機でシンガポールに飛んで、着いたはいいもののこれまた小さな空港で、両替所が無くてタクシーに乗れず困ったことがある。
そのときシンガポールの街中までタクシーの相乗りをお願いした旅行者(日本人&ロシア人)と、数カ月後に銀座の歩行者天国で偶然会ってびっくりした。
その時はシンガポールに2人で行っていて、再会した時も同じ面子(4人)でみんなシンガポールで会ったときと同じような服装で、偶然とはいえこんなことってあるのかと思った。
「どうも。お久しぶりです。あの時は助かりました。」
なんてことを話して、「それではまたどこかで。」と言って別れた。
ほんの10秒程度の再会だった。まるで近所の人に挨拶するような感じだった。
もしまた会うことがあったら、そのときは飲みにでも誘いたいななんて思っている。
これまで旅して出会った人たちと別れるときは、「いつかどこかで。」と言って別れてきた。
「さようなら。」ではないんです。
いつなんだろう。どこなんだろう。会う約束は口にしないし、生きているうちに本当に会う機会があるのか分からないけど、どこかでまた会えることを期待していると、ささやかに伝えられる
「いつかどこかで。」という言葉が大好きだ。
出会った時間は二度と巡っては来ないたった一度きりのもの、というのに「一期一会」という言葉があるけど、実際には一期二会も三会もあると思う。
出会った機会を大切に思って、その時その時で最高の時間を過ごすことは大事。
そして、別れた後にその人のことを想って、今は何をしてるのかなと思うことも大事だと思う。
僕たち旅人は何か細い糸で繋がっている。
よくある赤いやつで繋がっていった人たちもいる。
糸にたぐりよせられて、僕らはまた旅に出る。
これで、2000年春の旅は終わります。
途中から、日記が無いと書けないかと思ったけどそんなことはなかった。
書きたいと思うことはいっぱいあって、その1%でも書けたならいいかなというくらい。
大体、そんなすぐに忘れてしまうような時間ではなかったのだ。
思ったこと、感じたことばっか書いていて、旅行記ではないのでは? なんて思ってしまうけどそれでもいい。
数年前の現地の情報なんてそんなに価値はないだろうし、遺跡や観光地についてはガイドブックや他のブログにお願いして、僕は感じたことをそのまま書いていきたい。



