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バイク日本旅(鳥取島根下関)
2008-09-17
2000年 夏。友達とも一通り会った後、最後の拠点である島根の田舎へ向かった。
中国地方はのどかな道が続く。時間があるときに、もう一度ゆっくりと回ってみたい場所だ。
途中、眠くて眠くてしょうがなくなる。勢いだけできていたので、流石に疲れも溜まっている。
バイクに乗っていて何度かコックリコックリとなる。
一度、コックリの後に道を外しそうになって、変な汗が一瞬でドッと出たことがあった。
次にコックリしたらまずい、と思い途中に見つけた神社で昼寝をした。
不思議な夢を見た。
広島の山の中で道に迷い、途中で見つけた店で道を聞くけど方言で何を言っているのかほとんど分からない。
どっちへ向かえばいいのか分からないまま、「ありがとうございます。」とだけ言って走り出す。
やっぱり道に迷う。雨が降ってくる。雨なんて考えてなかったからビショビショだ。
前は見えず、素手で握ったハンドルは操作を奪われ、タイヤはグリップを失いついに転倒した。
この旅の前に、札幌の大通りで時速80kmで事故ったことがあったので転倒後は意外と冷静だった。エンジンはしばらくかからなかったけど、大した怪我もなく道に戻る。
ただブレーキレバーが曲がって走りづらい。

京都を出たのは昼頃だったので、日が暮れてくるころは鳥取にいた。
砂丘で夕日を見て、鳥取駅へ行く途中で見つけた温泉に入り、駅で野宿した。
駅のベンチは思いのほか快適だった。
夜風が気持ちよくて、昼間の日光で火照った体から熱が逃げていく。
とはいっても、明け方は体が痛くて疲れは抜けなかったけど。

野宿の翌日は島根の田舎に行くだけだったので、急がず山道をトコトコと走っていく。
坂道で、細道で、バイクでも走るのが大変だ。
雨が降ったせいか、道は常に湿っていて、霧の中どこへ向かっているかも分からない曲がりくねった道を進んだ。

もののけ姫の世界だ。
この橋の向こうに親父の田舎があった。
親父の田舎は、超田舎だ。
住所だけ聞いて家を探したのだけど、住所の書かれている電信柱も無ければ、聞く人もいない。
電話番号を聞いておけばよかったな・・ と思っていたら道沿いに「○○家」と看板が出ている。
自分の名字だ。
看板に従って少し走ると、親父の実家があった。以前に来たのはかなり昔の話しなので表札を見るまで分からなかったが、道の先にはその一軒しかなかったのでおそらくここだろうと思った。
久々に会ったおじさんと、知らない近所の人たち。
夜は庭で、川魚や、蟹や、採れたて野菜のバーベキューをした。
移動して、人に会い、ご飯を食べて、寝る場所を見つける。最高の贅沢だ。
満腹になった後、可愛いいとこが働いていた健康ランドでひと汗流しました。
そのいとこの家で軽くお茶をすると、もうやることはなくなる。
ヒッチハイクのときから溜まっていた移動疲れと、飲み疲れと、バイク疲れはこの一晩で一気に取れた。
可愛いいとこは、僕がバイクで札幌に戻ってすぐに脳梗塞で亡くなってしまった。
25才だった。
つい最近まで話をしていた人がいなくなる。
ただ、いる場所を変えただけなのだろうと僕は思った。

出雲大社ではまた変なおじさんに会った。
能登半島の二の舞。になりそうだった。
下関で、今まで荷台に積んでいたバックパックをようやく肩にのせて、船でプサン港を目指す。
港ではちょうど夏祭をしていた。ふぐは食べれなかったけど、フランクフルトとイカ焼きでお腹を満たして一晩の船旅に出た。
船での出国というのに憧れていたけど、近いのもあってまぁそんな大したもんでもなかった。
夜風にあたりながらビールを飲んで、雑魚寝の客室に戻ってくると韓国人のおばさんに話しかけられる。日本と韓国を行き来して商売している人のようで、日本語はペラペラだ。
バイクで腕だけ日焼けした僕の体を見て、
「何をしている人なの? 何で韓国に行くの?」と聞いてくる。
これまでのことを話すと、
「韓国で泊まるところはどうするの?」と聞かれ、さぁ・・と答えると、すごい心配してくる。
「安いところを探して泊まりますよ。」なんて言ってその日は寝たけれど、翌朝
「いいから家に泊まりにきなさい!!」としつこく言われお言葉に甘えることにした。
案内されたのは、プサンの一等地にある高層マンションだった。
バイクに乗っていて何度かコックリコックリとなる。
一度、コックリの後に道を外しそうになって、変な汗が一瞬でドッと出たことがあった。
次にコックリしたらまずい、と思い途中に見つけた神社で昼寝をした。
不思議な夢を見た。
広島の山の中で道に迷い、途中で見つけた店で道を聞くけど方言で何を言っているのかほとんど分からない。
どっちへ向かえばいいのか分からないまま、「ありがとうございます。」とだけ言って走り出す。
やっぱり道に迷う。雨が降ってくる。雨なんて考えてなかったからビショビショだ。
前は見えず、素手で握ったハンドルは操作を奪われ、タイヤはグリップを失いついに転倒した。
この旅の前に、札幌の大通りで時速80kmで事故ったことがあったので転倒後は意外と冷静だった。エンジンはしばらくかからなかったけど、大した怪我もなく道に戻る。
ただブレーキレバーが曲がって走りづらい。

京都を出たのは昼頃だったので、日が暮れてくるころは鳥取にいた。
砂丘で夕日を見て、鳥取駅へ行く途中で見つけた温泉に入り、駅で野宿した。
駅のベンチは思いのほか快適だった。
夜風が気持ちよくて、昼間の日光で火照った体から熱が逃げていく。
とはいっても、明け方は体が痛くて疲れは抜けなかったけど。

野宿の翌日は島根の田舎に行くだけだったので、急がず山道をトコトコと走っていく。
坂道で、細道で、バイクでも走るのが大変だ。
雨が降ったせいか、道は常に湿っていて、霧の中どこへ向かっているかも分からない曲がりくねった道を進んだ。

もののけ姫の世界だ。
この橋の向こうに親父の田舎があった。
親父の田舎は、超田舎だ。
住所だけ聞いて家を探したのだけど、住所の書かれている電信柱も無ければ、聞く人もいない。
電話番号を聞いておけばよかったな・・ と思っていたら道沿いに「○○家」と看板が出ている。
自分の名字だ。
看板に従って少し走ると、親父の実家があった。以前に来たのはかなり昔の話しなので表札を見るまで分からなかったが、道の先にはその一軒しかなかったのでおそらくここだろうと思った。
久々に会ったおじさんと、知らない近所の人たち。
夜は庭で、川魚や、蟹や、採れたて野菜のバーベキューをした。
移動して、人に会い、ご飯を食べて、寝る場所を見つける。最高の贅沢だ。
満腹になった後、可愛いいとこが働いていた健康ランドでひと汗流しました。
そのいとこの家で軽くお茶をすると、もうやることはなくなる。
ヒッチハイクのときから溜まっていた移動疲れと、飲み疲れと、バイク疲れはこの一晩で一気に取れた。
可愛いいとこは、僕がバイクで札幌に戻ってすぐに脳梗塞で亡くなってしまった。
25才だった。
つい最近まで話をしていた人がいなくなる。
ただ、いる場所を変えただけなのだろうと僕は思った。

出雲大社ではまた変なおじさんに会った。
能登半島の二の舞。になりそうだった。
下関で、今まで荷台に積んでいたバックパックをようやく肩にのせて、船でプサン港を目指す。
港ではちょうど夏祭をしていた。ふぐは食べれなかったけど、フランクフルトとイカ焼きでお腹を満たして一晩の船旅に出た。
船での出国というのに憧れていたけど、近いのもあってまぁそんな大したもんでもなかった。
夜風にあたりながらビールを飲んで、雑魚寝の客室に戻ってくると韓国人のおばさんに話しかけられる。日本と韓国を行き来して商売している人のようで、日本語はペラペラだ。
バイクで腕だけ日焼けした僕の体を見て、
「何をしている人なの? 何で韓国に行くの?」と聞いてくる。
これまでのことを話すと、
「韓国で泊まるところはどうするの?」と聞かれ、さぁ・・と答えると、すごい心配してくる。
「安いところを探して泊まりますよ。」なんて言ってその日は寝たけれど、翌朝
「いいから家に泊まりにきなさい!!」としつこく言われお言葉に甘えることにした。
案内されたのは、プサンの一等地にある高層マンションだった。



